時が変われば 受け止められ方も変わる?


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もう相当な大昔に そうなったのは 幼少時からの反面教師が強烈だったから、


昔から僕は 変わつてない様に思える 僕は昔から おおよそ同じ様なコトを ココに書き綴っている、


ローンや借金は嫌い 身の丈にあった生活、

みんなや テレビより つまらない 退屈かもしれない生活、

余剰は貯金なんかせず ホトンド投資へ 結果として いつだってスッカラカン、
でも配当と言う収益が 自由な時間を極々僅かだけど増やしてくれる、

モノなんかはそこそこでイイ けったいな肩書も 有名にならなくったって んんなのどうでもイイ  ただ ひたすらに欲するは自由な時間!  静かな時間 穏やかな時間 それこそが最高だっ!  ( 静かなストレスない空間だったキャンプの場は モノモノモノの見せ合いっこ会場と化して まるで静寂や落ち着きがなく 行かなくなっちゃった、)


僕は おおよそ こんなコトを昔から書き綴っていました、


でもこんなコトを書き綴り始めたら まず ”投資”と聞いただけで大勢が僕から離れて行った、
皆は投資と聞くと 金亡者が目玉ギラギラさせて買った売ったのギャンブルをする コレしか連想しないらしい、 大きな範疇での社会との繋がりという壮大なロマンが 投資の世界には満ち溢れているのに ”幾ら” ”幾ら” ”幾ら” それしか世の中の脳内にはないみたい、

そして消費散財が テレビやインスタ映えの世界に比して全般的に乏しいことに 猛烈なバッシングを受けた、  誰しもが骨の髄まで信じ切っている 消費をすればするほど豊かになるっ!  誰誰は何々を持っている どこどこのアイツはホニャララを持っている アイツは凄い よし ならば俺もあたいもアレを買おう 何を持とう そうするぞ~! ここでも ”幾ら” ”幾ら” ”幾ら” とっ・・・  そういうのって お金が出て行くば~っかりで 貧しくなるだけ なんでしょ?



何あれ~っ!  素直じゃない、  気持ち悪い、  何が楽しくって生きてるの、

大昔から ついこの前まで そりゃ~散々な言われ様だったデス、
でもねっ 自分は自分 自分の人生は ゴチャゴチャ言う他人のモノではなくって 自分のモノ 僕のノウガキに合わない方はどうぞご自由に行動されて下さいねっ、

僕は昔から同じ様なコトしか言い続けていないんだけど でも ここに来て最近、
ホントここに来て最近 なんだけど、

最近になって 何だか 周囲からの受け止められ方がガラリっと変わった (気のせいかな)
なんだかそんな気がする機会が とてもとっても増えて来てる様な 最近なのです、



とにかく 実に大勢大勢な方々が  ” 今迄と同じやり方や価値観ではダメだっ、 正解が何だかはワカラナイけど 今迄と違う生き方なりを 模索しなくっちゃ~!”と 考え始めつつあるのは確かな様です、  でも他方では だからこそ 脈々と続きに続いていた過去からの永遠と長い長~い歴史流れが消えそうで 怖いのか? 逆に 今迄と同んなじ散財・消費を 更に更に深堀り深化しょうとする流れもある様な ・ ・ ・

でも僕 思うんですよねっ、

じゃ~お金が 仮にそれだけの金額が用意されるとして、

何億円の豪邸に住んで うん千万円のクルマに乗って 豊かになるのでしょうか?

こういうのは 何十億円以上か百億円以上の大富豪が 余剰の極々一部で 余裕の楽勝で実現されてる世界なんでしょ?

まあ おおよそ一般人の僕らなんかが んんなコトしたら たちどころにお金がすっ飛んで行ってしまって 豊どころか 貧乏まっしぐら なんじゃ~ないのかな?

豊かさって 何なんでしょうねっ?




” お金は天下のまわりもの、 宵越しの金は持たネ~ ”が 粋な江戸っ子の生き方なんだとか・・・ 子供の頃から何かコレって変だぞ! と 思っておりましたが、
みんさんコレって 当時の政府による一大宣伝フレーズ 景気経済浮揚策の一環であった(らしい)というの 知ってました?  

ジャラジャラ消費し続けていたら 豊かになどならず 貧乏になっちゃうんでしょ?




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